第4話『Fly me to the moon』 完結編 (4) フランスから帰ってきた彼は驚くほど元気でいつものビョンホンに戻っていた。 「ヒョン・・・・ごめん。辛い思いさせて。」 うつむきながら謝る彰介にビョンホンは明るく声をかけた。 「お前こそ揺に変なこと頼まれて大変だったし辛かっただろ。ありがとう。いろいろ。もう、俺は大丈夫だから心配するな。それよりこの間はそんな気分じゃなくて言いそびれたけど、俺が映画撮ってる間に生まれたのか?お前がパパなんて・・・おめでとう。パパ。」 ビョンホンはそう言ってにこやかに笑った。 「ありがとう。」彰介は言葉少なに答えた。 「別に俺に気を使わなくていいよ。おめでたいことなんだから。いつ生まれたの? で名前は?」ビョンホンは笑いながら尋ねた。 「名前は「はるか」もう、4ヶ月になる。」 「そっかぁ~女の子か~。きっとウナさんに似て可愛いんだろうな~」 「うん。まあね。」彰介は答えた。 「今度会わせろよ。」「うん。もちろん。ヒョン抱いてやってよ」 「ああ。でも俺うまく抱けるかな。」 「抱けるよ。きっと。今から練習しとかないと。将来父親になるんだろ」 「ああ。早くいい嫁さん見つけようってうるさいんだよ。こいつ」 ビョンホンはそういうと自分の胸のあたりを指差した。 「全く前より始末が悪そうだ。」彰介は呆れたように笑った。 それから6年。 4年前結婚したビョンホンは幸せな生活を送っていた。以前のようにプライベートでちょくちょく日本に来ることはなくなっていたが日本に来た時は必ず逗子の揺の家に挨拶に行き遺骨が半分入ったお墓へのお参りは欠かさなかった。 もちろん彼は自分と揺のことを妻となる女性にすべて話し、彼女はすべてを受け入れてくれての結婚だった。だから揺の墓参りも家族全員での行事となっていた。 「パパ~~~」テプンが砂浜を走ってくる。 「何、何かすごいものでも見つけたのか?」ビョンホンは答えた。 「うん、カニ。カニがね、いるんだ。こっちこっち」テプンはビョンホンの手を引っ張って波打ち際に向かった。」 「テヒさん、いつもありがとう。揺のお墓参りに付き合ってくれて」 綾はビョンホンの妻であるテヒの手をとってそういった。 「いいえ、私が来たくて来ているんですから、気にしないでください。私、揺さんが大好きなんです。おかしいですよね。でも、本当なんです。彼にせがんでよく二人が付き合っていた時の話をしてもらうんです。とっても面白くて。何だかあの人が二人いるみたいで。 もしかしたら今私たち4人家族なんじゃないかって思うときがあるくらいなんですよ。」 テヒはそういうと明るく微笑んだ。 「本当にビョンホン君はいい人にめぐり合って良かった。私たちも嬉しいよ。これからもまた遊びに来てくれるかい。」幸太郎が言った。 「ええ、私は早くに両親をなくしていますからここは私の実家みたいな気持ちでいさせていただいてます。」 幸太郎と綾はビョンホンとテヒとテプンの幸せな姿を見て本当に良かったと胸を撫で下ろしていた。 逗子、久遠寺邸。 「パパ、こっちこっち。ほら、ここにいるの。遥じゃ届かないからとって」 大きな木の下に彰介の腕を引いてきた遥は高いところにいるクワガタを指差して言った。 「お前、女の子なんだからさぁ~クワガタはやめといたら」彰介はうんざりしたように言った。 「ママ、パパったら女だから虫取りはするなって」遥はふてくされてウナに訴えた。 「それは酷いわね。男も女もないわよね。それは遥が正しいわ。あなた訂正して」 「はい、わかりました。訂正します。」彰介はそういうと長い網をもってクワガタに挑んだ。 「・・・・・」 「やだ~パパにげちゃったじゃない。ヘタクソだな~」 「人が一生懸命やってるのに、ウナ、遥がひどいこと言った。」 「もう、子供のけんかじゃないんだから」ウナは笑って言った。 傍には一歳になるスエが座っている。 彰介たちが仕事の関係でロサンゼルスに移り住んでからもう6年が経っていた。この夏は本当に久々の帰国だった。 「スエ、お散歩しようか」遥はベビーカーに乗ったスエを連れて広い芝生の上を大回りしてお散歩しだした。テラスから見守る二人。 「遥・・・大きくなったね。ますます最近似てきた気がするんだ」 「やっぱりあなたもそう思う?私も仕草とか話しかたとか聞いてると時々ドキッとするの」 「橘のおじさんたちに挨拶に行かないといけないな・・きっと驚くよ」 「うん。あとで電話してみるわ」 ふと、庭を見ると二人の姿が消えていた。 「あれ、まさか外に出てないわよね。」 彰介とウナは慌てて裏口から出て行ったべビーカーを追いかけた。 「あれ~どこにきちゃったかなぁ~」 見知らぬ土地でほんの出来心で門の外に出てしまった遥はぐずりだすスエを抱え道端でべそをかいていた。 「あの子どうしたのかしら」テヒは横断歩道の反対側にいる困った顔をした女の子に気がついた。テプンの手を引いて鼻歌交じりに歩いていたビョンホンは「ん?」と答え何気なくテヒの示す方向を見た。通り過ぎるトラックの爆音の陰に隠れながら心細そうに立っている女の子を見たときなぜかとても懐かしい気がしていた。不思議な感覚だった。遠い昔に感じた気がする・・・。 「どうしたの?大丈夫?」テヒが優しく問いかけると女の子はワンワンと泣き叫んだ。それにあわせてベビーカーの中の赤ちゃんも泣き始めた。 「困ったわね・・・どうしようか。お名前は?」 「えっとえっと・・」 「遥!」そのとき叫び声が聞こえた。 「どこに行ってたんだ。心配するだろ。お前達にもしものことがあったらパパは死んじゃうんだから・・」そういって遥を抱きしめ彼は立ち上がった。 「ヒョン!」 「彰介!なんだ、お前の娘さんか・・・じゃ、はるかちゃん?」 「うん。」 「写真観たときはまだ赤ちゃんだったのにな。俺も歳とるわけだ。しかし、お前元気だったか。最後に会ったのは俺の結婚式だから4年前か。で、こっちにかえってきたのか?」 「ううん、一時帰国。ヒョンは?」 「プライベートで」 「そっかぁ。久しぶりだな。立ち話もなんだからうちに来てよ」 「ああ、お父さん達は買い物してから帰ってくるって言ってたからじゃ、少しだけ」 「じゃあ、うちで今夜はみんなで食事しようよ。おばさんには俺から電話しとくわ。」 「ああ、そうしよう」 その日の夜、皆は久遠寺邸での再会を喜んでいた。 テヒは庭の向こうの方で遥とテプンと一緒に遊んでいた。 「ヒョン、本当にテヒさんって素敵な人だね。」彰介が言った。 「ああ。彼女はとても温かいよ。彼女は僕のすべてを包んでくれている。本当に感謝してるんだ。そして愛している。」ビョンホンは遠くで子供たちと遊ぶテヒを眺めながら言った。そして無意識に自分の胸を二度叩いた。 (6年経っても忘れてないんだ・・。ヒョン) その仕草にビョンホンが自分の胸の中にいる揺をずっと思い続けていることを彰介は悟った。 「テプン君は元気でいいね。うちは男の子がいなかっただろ。あ~やっぱり男の子も作っておけばよかったな。母さん」 幸太郎は真面目な顔をして綾に言った。 「あんなビョンホン君のミニチュアみたいな子だったらね。今からでも欲しいわね」 「いやぁ~困ったな」幸太郎は謎の微笑みを浮かべた。 クスクスと笑う一同。 「それはそうとはるかちゃんはどっちに似てるのかなぁ~」 ビョンホンはワインを口に含んでそう言った。 「どっちかなぁ~」と彰介。 「あっ、そうだ。テヒさん、お食事食べられたかしら。ビョンホン君悪いけど呼んできてくれる?」と響子。 「お気遣いありがとうございます。じゃ、ちょっと行ってきますね。」 ビョンホンはそういうと遠くで遊ぶ三人の元に走っていった。 楽しそうな4人。 その姿を見つめる6人。 「・・・・・」 「時間の問題だな。揺が仕掛けた爆弾が爆発するまで。もう秒読みだ。」と幸太郎。 「何、ばかなこと言ってるのよ。それは・・避けなきゃ。これまでの苦労が水の泡じゃない」と綾。 「しかし・・・現実的に考えてああ、似てたら隠しようがない」久遠寺は冷静に言った。 「俺たちが迂闊だった。ヒョンとここで会う日程で帰国なんてしたから。」 「そうね。明日、帰りましょう。」ウナが言った。 「でも、あなたたちが彼を避け続けるのだって限界があるんじゃない。あんまり露骨だとかえって疑われる気がするわ。」響子が言った。 「じゃあ、どうしたらいいんだよ」彰介がつぶやいた。 そこにビョンホンと交代して戻ってきたテヒが顔を出した。 「皆さん、どうかされましたか?何だか心配ごとがある顔・・・してますよ。」 「いや、別に。なんでもないわ。ごめんなさい、心配させちゃったかしら。」 綾はそういうとこぼれかけた涙を気づかれないように拭った。 テヒはにっこり笑って言った。 「はるかちゃん、とっても可愛いですよね。私、はるかちゃんから揺さんを感じました。もしかして・・・彼女は揺さんの娘さん・・じゃありませんか?」 テヒはそういうと何事もなかったかのようにテーブルに置かれた春巻きに手を伸ばした。 言葉を失う一同。 「やっぱりそうですか。いやぁ~私ってそういうところ鋭いんです。」 笑ってそういいながら彼女は美味しそうに春巻きをひとつ食べた。 「ごめんなさい。騙すつもりなんてなかったのよ。もちろん彼も知らないわ。」 慌てて謝る綾。 「お母さん、どうして謝るんですか?揺さんの命を受け継いでいるなんて素敵じゃないですか。でも今まで彼に隠してきた皆さんはとてもお辛かったでしょうね。でも、あんな素敵な娘さんに育って揺さんとても喜んでいらっしゃると思いますよ。」 「ビョンホン君がそれに気づくと思うかい?テヒさん。」幸太郎は単刀直入に彼女に尋ねた。 「たぶん、彼ははるかちゃんをひとめ見たときから何かを感じているとは思います。ただあの人意外に単純なところがあるから彰介さんのお嬢さんだと思い込んでいると、気がつくまでに結構時間がかかるかもしれませんね。でもきっと大丈夫。なるようにしかなりません。きっと彼がいつ気づくかは揺さんが決めるんだと思いますよ。私たちにとって揺さんはそういう存在なんです。」 「テヒさんはそれでいいの?」ウナは心配そうに聞いた。 「ええ、私は全部込みこみで彼を愛してますからいいんです。」 彼女の顔に嘘はない。皆そう思った。そして揺が悪戯っぽく微笑んでいるのが見えた。 「ほら、私が見つけたのよ。彼女。すっごいいい子でしょ。みんなありがとうね。後は私が何とかするから。心配しなくていいよ」 皆同じものが見えたのか・・・彼らは申し合わせたように微笑んだ。 |